音旋響八周年記念の旅 日光東照宮の巻

日光東照宮といえば
左甚五郎の眠り猫
薬師堂の天井画 鳴き龍

そして

見ざる、言わざる、聞かざるの三猿

幼い頃は周りの影響を受けやすいから世の中の悪いものは見聞きせず、悪い言葉を使わせず、良いものだけを与えよ

そういった格言を彫刻に示した作品

祖父は余りに争いごとの多い家庭環境に産まれた私に

‘’見ざる、言わざる、聞かざる‘’

そう言い聞かせ育てました。

私の無意識は勘違いをしてしまったんですね

視力は両眼共に0.1を切る0.04
左側の耳は難聴の診断
言語が極端に遅れ吃音症を発症
集団生活についていけず
学校では酷い虐めにあい友達が出来ず
学力も遅れていましたので支援学級への編入も考えられていました。

子供の頃は
母からもネクラちゃん、ブスミちゃんと呼ばれるほどのネクラ
自分の世界に閉じ籠り
殆んどを一人遊びで過ごしてました。

そんな中で事件が起きました

子供達が遊ぶ広場で何人かの男の子が竹棒を振り回していたのです
そこには小さい子も混じっていて
危険性を感じた私は

‘’危ないから止めなさい!!!‘’

そう言って竹棒を取り上げようとすると
生意気だと言って竹棒で叩いてきたのです。
最後は押さえつけられる形になり
竹棒は私の目を強打し激痛が走りました。

暫くして、大人がきて病院に運ばれ処置されましたが記憶は定かではありません。

光を入れてはいけないと目を塞がれ真っ暗でした。

その時の恐怖で泣くことも言葉を発することも出来ず
音は聴こえてもそれが何を言っているか理解できなく

見えない、聞こえない、言えない

勘違い三猿になってしまったのです。

その時

宇宙創造神の存在を初めて体験しました。

私達の魂は一つで繋がっている
太陽の親分みたいなところから飛び出て肉体という乗り物に入って
地球を体験しているんだと

はっきりと脳裏にビジョンが映し出されました。

その時、9歳

幸い、目は失明せずに済みましたが
相変わらず虐めは続いていました。

しかし

私の意識が違っていたのです
虐める子達に怒も感じず恨みつらみもなく
虐められることに恐怖もなく
痛みはあっても泣くこともなく
ただ、少し肉体から離れたところで自分を傍観しているのです。

それは

日常の生活においても同じです
大人達の争いごとも
ただ、観ている
そんな子供でした。

祖父がどんな気持ちで

‘’見ざる、言わざる、聞かざる‘’

自分の目で見て無意識の勘違い解いて来ようと思い
日光東照宮に足を運びました

三猿の彫刻の前で手を合わせた時に
祖父の気配を感じ温かい手が頬を撫でてくれたような気がし涙が溢れてきました。

現実を観る力も真実を聞く力も誠実語る力も付き不器用だけどなんとか生きてます。

そう、祖父に報告して日光東照宮を後にして

音旋響8周年記念旅の締めくくりは鬼怒川温泉でシッポリ
何処へいっても珍道中の二人ですが宜しくお願いします。