月別アーカイブ: 2019年1月

断薬のススメ

世界の薬消費量40%
世界二位の薬消費大国と言われている日本。

私は幼少期から頭痛持ちで『頭が痛い』と言えばバ○リン
お腹が痛くなれば正○丸
熱が出たら解熱剤と薬が手放せませんでした…
というより与えられるままに服用していました。

本格的に薬の怖さを知ったのは16歳で精神科病棟へ入院した時のこと

身体も感情も行動も自分ではコントロール出来なくなり入院

朝、昼、晩、就寝時と数種類の薬を与えられました。

夜中に起きて泣き出したらナースステーションに連れて行かれて筋肉注射で安定剤を打たれ

それでも、静かにならなかったら手をベットに固定され点滴で繋がれました。

自分の意思というものはなくなり
食べ物を噛む力もなくなり
喉が渇き
昼夜がわからなくなり
一日中、ボーっとしていました

そんな病院生活から父との再会を堺に目覚めることができ

ここを出なくてはと与えられた薬を飲まずに破棄したり、トイレで吐いたりして自分の身体を取り戻し外出許可を取れるようになり脱走しました(笑)

その時、17歳…

それからも、結局は外来で処方された抗うつ剤、睡眠薬に28歳くらいまで頼っていたでしょうか、他にも市販の鎮痛剤を多い時には三日で一箱を飲んでしまうほど

こんな私が何をきっかけにどうやって薬を手放せたのか…

薬が効かなくなり
身体の感覚も麻痺して
痛みも感じないようになって
何日も水も食事も取れない状況になり
部屋の隅で床を叩いている日が続き

ふっと

口にした天然塩と黒糖

身体に力が甦ってきたのです。

コンディションが良い時にはダイビングが趣味でしたから
それは沖縄へ行った時に購入したものでした。

身体がとことん飢えた時に本能で『生きる』という無意識の声に目覚めて必要なものに気付かせてくれました。

その日から習慣的に飲んでしまっていた薬を一切、止めて

その代わりに外出時でも塩と水と黒糖飴を持ち歩き薬を欲したら塩と水を取るようにしました。

後の量子場調整師認定講座3deysを受講して何故、自分がそのようにしたかが府に落ちました

‘’薬は人工的に作られたホルモンで人工的原子構造‘’

その、人工ホルモンを身体が抗体ホルモンを出し分解しようとしようとして喉が乾いたりイライラしたりするのだと

そこに違う原子構造の塩を取ることで禁断症状が一時的に緩和され身体が薬を排出するのを助けてくれるのだと納得

無意識は全力で生きようとしていたのです。

友人に誘われて健康食品やサプリメントの勉強会へ行き薬の代わりにサプリメントを摂取したり
その会場で出会った代替え治療をされている先生の指導の元

エドガーケーシー『ヒマシ油シップ』
コロクレンズ
遠戚ドームサウナ
断食
瞑想
などなど、様々な物理的療法を試みて本当に薬が手放せたと精神的にも思えるまでに5年以上は掛かりました。

今、私のところへ来られているクライアントは早い方で三ヶ月から半年で断薬及び減薬を成功してます。

量子場調整は薬を服用しながらでも受けられ

薬への依存や副作用なども無意識(小脳)を介し量子の場へ働きかけ場を変化させることが可能です。

薬を飲まないと不安、眠れないという無意識に刷り込まれた情報を

‘’薬を飲まなくても大丈夫、眠れる‘’

という情報に無意識を変化させます。

調整を重ねると依存的な性質も徐々に主体的になり自分軸で生きるようになります。

断薬や減薬に協力的な医師を選び
量子場調整を併用すれば
かなりの割合で成功するのではないでしょうか

近年では子供にも眠らないから暴れるからと簡単に抗うつ剤が処方されて何の疑いもなく服用させているということです。

そんな時は冒頭に書いた私の経験を話します。

何故、そんなに怖がらせるのですか?

そう言われる方もおられましたが

それが、事実だからです!

としか言いようがありません。

薬止めますか?

人生諦めますか?

そういう世界と言っても過言ではないのです。

本気の方トコトン応援します(*^^*)

2019年 垣根のない社会へ

今年の初詣は葛飾柴又帝釈天へ

御寺への初詣は何年振り

柴又と言えば『男はつらいよ』寅さん

山田洋次監督の傑作

学生時代にお芝居をやっていて山田洋次監督の人柄に直接触れる機会があった

全国リアリズム演劇会議

全国のプロ、アマ、セミプロが集まって3日間の合宿で指名された劇団が作品を発表して監督や演出家の評価を受ける

私が所属していたアマ劇団は参加人数と予算と時間の制限で選んだ題目が

詩集『わたしいややねん』吉村敬子 著
https://bookmeter.com/books/212989
車椅子で生活している少女が書いた絵本の一人芝居

ギターの演奏に手話とスクリーンに映し出された詩集

私はその前で車椅子に乗っての朗読

第一声は『わたし、いややねん』

その声は障害者からの社会への不満と演者の社会への不満をリンクさせた、演出ではできない演出、演者は演じる必要のない素材になるだろうと山田洋次監督から高い評価を受けた。

当事、劣悪な家庭環境と学校での酷い虐めにあっていた私はその胸の内を舞台でぶちまけただけだった。

『そのまま、真っ直ぐに生きて欲しい』

この言葉が私のそれから生きる支えになった。

その後の山田洋次監督の講演は渥美清の幼少期の話し

渥美清は病弱で運動も勉強も出来なかった
日本は戦時中、勝てや負かせやの時代

学校へ行けるだけで有り難いと子供達も必死で学業に勤しんだ

そんな中で渥美清は一人、自分の世界を生きていた。

どうせお前は出来ないんだから前に座る必要はないと席順はいつも窓際の一番後ろ

勉強に疲れたクラスの仲間が振り向いて見ると渥美清は鼻くそをほじりながら外を眺めている。
仲間の視線に気付きニッコリと笑い返すとクラス中に笑いの渦が沸き起こった。

彼の存在はクラスの調和を図りクラスの成績は学内で一番良かったと

駄目なんてない
劣等生なんていない
その存在が必要だからそこにいる

山田洋次監督の話しで自分の存在価値を認められるようになった

その後、東京へ出て10年住んだ目黒の碑文谷は渥美清の自宅近くで碑文谷公園に散歩にきていた

ハトに餌さをあげていると横取りしてしまうカラスを追い払おうとしている私に渥美清は隣に座って話しかけてきた

『鳥も人も強いもんが皆、食っちまう…それじゃあいけないんだがなぁ~ほれ頑張れ!頑張れ!』

山田洋次監督から聞いた渥美清の顔を身近で感じることができた。

時代背景も変わり、この10年で

○○障害
○○症
○○症候群
こんな言葉が増えたなと感じる

○○障害は障害という言葉を使っている私達が作っていて

その枠組みに収めることで社会が納得させようとしているだけのこと

私達の中の垣根が取れたら全てとは言わないが、殆どの障害なんていうものは消え

あっという間に障害のない社会が創造できるのではないかと

そう、想った

2019年 年頭でした。

地味なblogを読んで頂いてありがとうございます(((^^;)
今年も宜しくお願い致します。