2019年 垣根のない社会へ

今年の初詣は葛飾柴又帝釈天へ

御寺への初詣は何年振り

柴又と言えば『男はつらいよ』寅さん

山田洋次監督の傑作

学生時代にお芝居をやっていて山田洋次監督の人柄に直接触れる機会があった

全国リアリズム演劇会議

全国のプロ、アマ、セミプロが集まって3日間の合宿で指名された劇団が作品を発表して監督や演出家の評価を受ける

私が所属していたアマ劇団は参加人数と予算と時間の制限で選んだ題目が

詩集『わたしいややねん』吉村敬子 著
https://bookmeter.com/books/212989
車椅子で生活している少女が書いた絵本の一人芝居

ギターの演奏に手話とスクリーンに映し出された詩集

私はその前で車椅子に乗っての朗読

第一声は『わたし、いややねん』

その声は障害者からの社会への不満と演者の社会への不満をリンクさせた、演出ではできない演出、演者は演じる必要のない素材になるだろうと山田洋次監督から高い評価を受けた。

当事、劣悪な家庭環境と学校での酷い虐めにあっていた私はその胸の内を舞台でぶちまけただけだった。

『そのまま、真っ直ぐに生きて欲しい』

この言葉が私のそれから生きる支えになった。

その後の山田洋次監督の講演は渥美清の幼少期の話し

渥美清は病弱で運動も勉強も出来なかった
日本は戦時中、勝てや負かせやの時代

学校へ行けるだけで有り難いと子供達も必死で学業に勤しんだ

そんな中で渥美清は一人、自分の世界を生きていた。

どうせお前は出来ないんだから前に座る必要はないと席順はいつも窓際の一番後ろ

勉強に疲れたクラスの仲間が振り向いて見ると渥美清は鼻くそをほじりながら外を眺めている。
仲間の視線に気付きニッコリと笑い返すとクラス中に笑いの渦が沸き起こった。

彼の存在はクラスの調和を図りクラスの成績は学内で一番良かったと

駄目なんてない
劣等生なんていない
その存在が必要だからそこにいる

山田洋次監督の話しで自分の存在価値を認められるようになった

その後、東京へ出て10年住んだ目黒の碑文谷は渥美清の自宅近くで碑文谷公園に散歩にきていた

ハトに餌さをあげていると横取りしてしまうカラスを追い払おうとしている私に渥美清は隣に座って話しかけてきた

『鳥も人も強いもんが皆、食っちまう…それじゃあいけないんだがなぁ~ほれ頑張れ!頑張れ!』

山田洋次監督から聞いた渥美清の顔を身近で感じることができた。

時代背景も変わり、この10年で

○○障害
○○症
○○症候群
こんな言葉が増えたなと感じる

○○障害は障害という言葉を使っている私達が作っていて

その枠組みに収めることで社会が納得させようとしているだけのこと

私達の中の垣根が取れたら全てとは言わないが、殆どの障害なんていうものは消え

あっという間に障害のない社会が創造できるのではないかと

そう、想った

2019年 年頭でした。

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