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気付きは寝て待て〜涅槃仏の御利益〜

気付きは寝て待て〜涅槃仏の御利益〜

深夜の帰宅路に道に落ちていた金色のスカーフ
一度は通り過ぎたものの気になって戻り、拾って帰り手洗いした。

〝これ、タイシルクだ!そうだ、タイへ行こう!〝

9月29日からタイ旅行へ出発
私は20年振りのタイ

〜世界の車窓から〜さながらの列車の旅 20バーツ(70円)にワクワク

今回の旅の目的はアユタヤ遺跡
アユタヤ遺跡の光景にショック
戦争の戦利品に頭と腕を捥がれた仏像が並ぶ
いつの時代も人の欲は愚かだ

タイは涅槃信仰の国
日本の諺にもありますが
〝家宝は寝て待て〝
そうは言えどもバタバタ、右を左をするのが性分で何かと動いていないと気がすまない

何体かの涅槃仏を拝観してお気に入りの涅槃はこちら
黄金に輝いて扇風機に当たって涼んでおります。
炎天下の中、熱中症になりかけながら遺跡や寺院巡りをしていた私はそのお姿を優雅さに見惚れて
〝私もこう在りたい〝
暫し、涅槃の前で座り込みました。

私が見惚れた涅槃様
願いを即座に叶えて下さいました!
翌々日の朝。。。帰国日
うっ動けない、、、お腹が、、、痛いっ、、、なんだ、、、
今迄、海外で食当たりなどした事がない私は戸惑い額には冷や汗( ̄∀ ̄;
深夜便出発だったので部屋を延泊して休む事に決め調整をしてベッドに沈没
空港出発へ時間にはどうにか歩けるまでに復活
やっぱり、熱中症になりかけの身体に生牡蠣は駄目だったかと後悔しながら帰国の途へ(>人<;)

自宅に辿り着いた時には力も尽きて寝具に潜り込み
寝て寝て寝倒して
〝私ったらまるで涅槃〝
なんて呑気な事を思いながら寝て過ごした数日

夜明けに見た夢。。。
屋久島にいるはずの母と話している
二人とも水商売を今生で終わらす事が出来て良かったね
そんな、話しをしていた。
そこにドアを叩く音
どなたですか?とドアを開けると
そこには母のヒモだった男とその家族らしき女性と男の子が立っていた

〝母は水商売は上がりましたよ〝と私

そうか、と男

その男は連れてきた女性に私がどんな娘になってるか聞いていた

〝あんたが言ってた通り太陽みたいな娘さんになってるよ〝

男は視力を失っているようだ

〝すいません、、、母のせいで人生を狂わせしまって、、、〝

思いもよらぬ言葉が私の口から出た

その男と女性と男の子は立ち去っていった

私は男を憎んでいるはずだった
男が家に居座る様になり祖父母の家へ預けられた
中学へ上がり母の家に戻ると
その男とギャンブル、酒、煙草に溺れていた
青春期の殆どがその男が家にいた
甘えたい時に甘えられなかった
成長期なのに食事はあったりなかったり
酒に酔った母は暴れて私や男に暴力を振るった
家は常に荒れていた
その男の印象が強く無意識に男性を馬鹿にしてしまう癖が身に付いてしまった。

無意識は判断が出来ない
無意識は無抵抗で
無意識は無垢な勘違いの天才

子供の私の無意識は苦しい出来事の全てを一本の束にして捉えていたのだ。

実際は違った。。。
その男が母に手を挙げた事は一度もなく
その男の前に付き合っていた銀行マンの男に振られた腹いせに
酔って私に暴力を振るう母を止めていた、
熱湯を被せられそうになった時も払いのけてくれて事なきを得た、
その男が家に居座ってくれたから祖父母の家に避難できた、
細面の青白い顔の男はいつも無口を通して
母のストレスの捌け口になる事で私を母の暴力から守っていたのだ。

この夢を見るまで
その男を加害者にして自分を被害者にしていたのだ。

その男は私が17歳で家を出て程なく母と別れ消えて行った。

完全に目が覚める頃には涙で溢れていた。

〝ありがとう〝

今、生きているなら母の10歳下の63歳
残りの人生、穏やかであって欲しいと心から思えた。

横浜に戻って来てからできた右脚の4センチ程の筋腫
悪性ではないけれど長く歩いたりすると浮腫みが出て支障が出ていた。

その日からスッカリ消えていた。

身体が弱り、力が抜けてからこその気づき
また、量子もスペースが出来ないと上手く働かない
病気もまた祝福である。