未分類」カテゴリーアーカイブ

受信機か発信機か?

受信機か発信機か?

本題の前に

今年はエネルギーを扱い人様のお身体に触れさせて頂く以上
自己浄化が必要と思い冬至の滝行に行って参りました。

お世話になったのは白杵山 天光寺 真言宗のお寺
12:30に集合 挨拶の作法 幾つかの御真言 お百度詣りをしてお滝に挑みます。
(あれ、もう少し気軽に考えていたのになぁ)と心の声。

お滝までは小雨が降る中10分程山登り
滝に到着すると入水の手順を習いイザ滝へ

ご修業中は南無大師遍照金剛の御真言を指導の先生と掛け合いながら行います。

入水直後はパニックを起こす方もいる程、冷たく感じますが30秒もすると身体が温かくなり軽くなって行くのが不思議です。
入水から滝壺へ身体を沈め出るまで2分〜3分
指導の先生の判断で滝から出されます。
この日は二十一人の修行者がおり先生はその間、ずっと滝の中で見守ってくれています。

今年、一番の寒さだったとか
普段の生活では想像も出来ない寒さの中で無事に終えられたのは先生の献身的なお導きとエネルギーのサポートがあったからに違いありません。

感謝  拝 

さて本題に戻り。。。

以前から考えていた答えが少し見えてきた様な気がする
パートナー、コウサカワタルと演奏し始めて8年
お互いの意思の疎通は未だに全く出来ないのだが
無意識の繋がりは深くなっているのを実感している

私は子供の頃から勘が強く
駄菓子屋の当たりクジや歳末大売り出しの福引きを良く当てていた。
面白がって周りの大人達は花札のコイコイ遊びを教えて引き札を当てさせて喜んでいた。
その内に『今日は誰々さんがくるよ〜、誰々さんが亡くなるよ〜』
などと言い始め、尽く当たるので今度は怖くなったらしく花札、トランプ禁止令が発令され他の人が観えてない事を口にするだけで叱られる様になった。

この数年は
コウサカと暮らす様になり良く夕食のメニューが彼が食べたい物とドンピシャの時が多々ある。
それも、微妙なメニューで(笑)
先日も滅多に自分からは食べないインドカレーが食べたいと思い誘おうと思ったら彼の方からインドカレーを食べに行くと連絡が来たり
『夕飯はすき焼きみたいなのだよ〜』とメールしたら『そういうのが食べたかったんだ!』と返信が来たり
すき焼きじゃない、牛丼でもない、すき焼きみたいなのがポイントなのだ!
彼から『今夜は〇〇が食べたい』『あっそれ、作ってる』なんて会話は何度もある。
その他にも人混みの中での待ち合わせで到着メールをしようとしたら目の前に居たり。。。

これって、どちらが発信機で受信機なの?
そんな、疑問が私の頭の中で巡っていた(笑)

先日、AM2:00出張先のホテルの露天風呂から見事な満月を眺めていたらフッと思い付きコウサカに満月の波動を遠隔をしてみた。
翌朝、夜中に遠隔した事をメールすると
なんだか、目覚めがとても良かったんだよとの返答があり
最近、不仲だったので味をしめた私は翌々日の双子座流星群の波動も『双子座流星群の様にメロディが降り注ぐ』と意図して遠隔をしてみたら
夜中の3時に目が覚めてサロッドを弾き始め良い感じのメロディが浮かんだと
普段からこう素直に動いて欲しいものだと苦笑いが出た。

これは正しく私が無意識に発信した情報を素直に顕在意識に映し出し行動を起したのに違いないと確信した。

この場合は私が量子場調整の技術を使って私が彼の無意識と繋がり意識の力をかりて意図を発しているのだから
私が発信機で彼が受信機である。

では、日常生活ではどうなんだろうか?
彼に聞いてみたところ今している行動とは全く繋がりなく突然、食べ物と味が浮かんでくるらしい。
食事を作る時に冷蔵庫を覗き材料を確認して足りない物を買い出しに行く
その過程である程度の出来上がりの味を想定しているのだ。
そうして、彼にメールする頃には彼はそれをキャッチして作っている料理を食べたくなるのだろう。

この場合も私が発信機で彼が受信機である。
では、この役割はどの様に決まるのか?

私は女性でありながら男性性が強く(陽)の性質を強く持っている。
能動的に物事を勧め支配力も強い方だと思う
彼は男性でありながら女性性が強く(陰)の性質を強く持っている。
更に子育て経験者の彼は受動的な要素が強い

男性=陽=発信
女性=陰=受信

と思いがちではあるが男女間での発信機と受信機の役割りは性別ではなく資質に寄って役割りは決めれてくるのだろう。

こうして、このブログを書いている間にも
『今日の夕飯は麻婆豆腐とか作ってたりする?』
(惜しい!麻婆茄子にしようか考えてたとこ(笑))

こんなメールが交わされて

昨日のクリスマスマス・イブには
今年のケーキはノエルタイプのチョコ味がいいなぁと思ったらちゃんと
理想のケーキを買って来たりする彼であった(笑)

音旋響八周年記念の旅 日光東照宮の巻

日光東照宮といえば
左甚五郎の眠り猫
薬師堂の天井画 鳴き龍

そして

見ざる、言わざる、聞かざるの三猿

幼い頃は周りの影響を受けやすいから世の中の悪いものは見聞きせず、悪い言葉を使わせず、良いものだけを与えよ

そういった格言を彫刻に示した作品

祖父は余りに争いごとの多い家庭環境に産まれた私に

‘’見ざる、言わざる、聞かざる‘’

そう言い聞かせ育てました。

私の無意識は勘違いをしてしまったんですね

視力は両眼共に0.1を切る0.04
左側の耳は難聴の診断
言語が極端に遅れ吃音症を発症
集団生活についていけず
学校では酷い虐めにあい友達が出来ず
学力も遅れていましたので支援学級への編入も考えられていました。

子供の頃は
母からもネクラちゃん、ブスミちゃんと呼ばれるほどのネクラ
自分の世界に閉じ籠り
殆んどを一人遊びで過ごしてました。

そんな中で事件が起きました

子供達が遊ぶ広場で何人かの男の子が竹棒を振り回していたのです
そこには小さい子も混じっていて
危険性を感じた私は

‘’危ないから止めなさい!!!‘’

そう言って竹棒を取り上げようとすると
生意気だと言って竹棒で叩いてきたのです。
最後は押さえつけられる形になり
竹棒は私の目を強打し激痛が走りました。

暫くして、大人がきて病院に運ばれ処置されましたが記憶は定かではありません。

光を入れてはいけないと目を塞がれ真っ暗でした。

その時の恐怖で泣くことも言葉を発することも出来ず
音は聴こえてもそれが何を言っているか理解できなく

見えない、聞こえない、言えない

勘違い三猿になってしまったのです。

その時

宇宙創造神の存在を初めて体験しました。

私達の魂は一つで繋がっている
太陽の親分みたいなところから飛び出て肉体という乗り物に入って
地球を体験しているんだと

はっきりと脳裏にビジョンが映し出されました。

その時、9歳

幸い、目は失明せずに済みましたが
相変わらず虐めは続いていました。

しかし

私の意識が違っていたのです
虐める子達に怒も感じず恨みつらみもなく
虐められることに恐怖もなく
痛みはあっても泣くこともなく
ただ、少し肉体から離れたところで自分を傍観しているのです。

それは

日常の生活においても同じです
大人達の争いごとも
ただ、観ている
そんな子供でした。

祖父がどんな気持ちで

‘’見ざる、言わざる、聞かざる‘’

自分の目で見て無意識の勘違い解いて来ようと思い
日光東照宮に足を運びました

三猿の彫刻の前で手を合わせた時に
祖父の気配を感じ温かい手が頬を撫でてくれたような気がし涙が溢れてきました。

現実を観る力も真実を聞く力も誠実語る力も付き不器用だけどなんとか生きてます。

そう、祖父に報告して日光東照宮を後にして

音旋響8周年記念旅の締めくくりは鬼怒川温泉でシッポリ
何処へいっても珍道中の二人ですが宜しくお願いします。

前世からのメッセージ

私の特技の一つに自分の前世をリアルに体験するという業がある(笑)

どうしても切れない腐れ縁だったり
苦しめられてるのに逃げ出せない状況だったり

自分の内側の感情を見つめていると
それは突然、走馬灯の様に始まる

その間、こちらの世界の私の記憶はなく何時間も経った気がするが時計を見るとものの数分の出来事だったりする。

無意識(小脳)の情報は計り知れないほどに防大な情報量で意識がフォーカスした場を映し出せるという性質を持っているので私が体験した現象はあってもおかしくはない。

インドでの私の前世…

少女の私は水汲みの仕事をしていた
井戸の近くの大きな木の木陰で座り休み歌を唄っていた。

そこに

一人の青年が通り掛かった

青年: 貴女は今、何をしているのですか?

少女: 私は水汲みの奴隷です、家族を養う為に水汲みの仕事をしています。

青年: 私と一緒に旅に出ませんか?

少女: 私は水汲みの奴隷ですから旅には出られません。

青年 :そうですか

青年は旅に出た。

数年が経ち…

少女は少し成長していた
いつものように井戸で水汲みを汲み大きな木の木陰で座り歌を唄っていた。

そこに少し成長した青年が通り掛かった

青年: 貴女は今、何をしているのですか?

少女 :私は水汲みの奴隷です。家族を養う為に水汲みの仕事をしています。

青年: 私と一緒に旅に出ませんか?

少女: 私は水汲みの奴隷ですから旅には出られません。

青年: そうですか

青年は旅にでた。

また、数年が経ち

少女はすっかり成長して年頃の女性になっていた。

そこに、立派に成人したあの青年が通り掛かった

年頃になった女性はいつもの木の木陰で歌を唄っていた。

青年: 貴女は今、何をしているのですか?

女性 :私は今、歌を唄っています。

青年 :私と一緒に旅に出ませんか?

女性 :私の家族は私が逃げ出さないように足を切り落として売春宿に私を売りました。
貴方と旅に出ることは出来ません。

青年は初めて腰を降ろし背中に背負っていた弦楽器を取り出して奏でた。
女性はその演奏に合わせて唄いはじめた。

‘’貴女は今、何をしているのですか?‘’

‘’私は今、歌を唄っているのです‘’

出逢ってから何年も経って
二人が初めて同じ世界を観はじめた。

今世での私は…
右足は先天性の股関節変型があり子供の頃から右足ばかり怪我をしていた。
現在も外反拇趾とヒラメ筋に筋腫があり歩くのが好きじゃない。

コウサカ ワタルとの出逢いもスムーズには始まらなかった。
屋久島で始めて彼の演奏を聞いて二人で演奏しているビジョンがハッキリ観えたが色々と面倒な事が起きそうなので全力で逃げた(笑)
その一年後に友人が再来島したコウサカを泊めて欲しいと私の家に連れてきた。

一度だけでも一緒に演奏したく7月7日に頼まれていた法事の演奏にコウサカを招き初めて音を合わせて今に至る。

量子場調整に出合って
前世の記憶を調整したり
二人の関係性を整えたり
身体本来の骨格を創造して
シンプルな身体の使い方になり歩行もスムーズなっている。
長年の外反母趾とヒラメ筋の腫瘍も小さくなっている。
何よりも、価値観も生き方も全く違うコウサカと8年も一緒に演奏しているのが奇跡に近い(笑)

前世という世界があることを知って
その世界に囚われて何も出来ないでいるか
そのメッセージに気付き一歩を踏み出すか…

私は今、世界を旅している🎵
弦楽器のコウサカ ワタルと供に…

新年号に変わった2019年4月1日
二人でインドへ旅立ちます。
今世で出逢ってから8年

私達、本来のスタートラインに立った気がしています。

国内でも細々と活動している私達を応援してくれている皆様には感謝の気持ちが尽きません。

ありがとうございます。

インドではレコーディングとコンサートを予定しています。
帰国後の施術は18日からお受けしております。
メールの返信が遅くなりますがご了承下さい。
3日間返信がない場合は再送お願いします。

大好きな貴方へ

苦しみのど真ん中にいる時に

苦しみをやめろとは言わない

怒りで全身を震わせている時に

許せとは言わない

悲しみに泣き崩れている時に

感謝しようとは言わない

私は

貴方の苦しみに

貴方の怒りに

貴方の悲しみに

共感することを恐れない

貴方の苦しみ、怒り、悲しみと

一緒にいることを戸惑わない

その先の

貴方の幸せが観えるから

貴方の輝きが観えるから

真実と向き合っている

貴方の『今』が一番、美しい

会いに来てくれて

ありがとう

父への手紙

私が父と再会をしたのは16歳の時

精神科の病棟で薬で虚ろな意識の私を見て貴方は床に泣き崩れながら私を手離したことを詫びた

さ迷っていた私の意識は肉体に戻りしっかりと状況を把握した

その時、始めて人の誠実さを私は観た

そこには怒りや憎しみなどは全く沸いてこなかった

忙しい中、休みの度に何度も病棟を訪れず外出をして社会へのリハビリに時間を費やしてくれた

再会はできたものの娘の姿を見てどんなに苦しかったか

貴方の気持ちを思うと申し訳ない気持ちが溢れてきた

『ここにいては行けない』

それだけでの想いで病院を抜け出して社会へ飛び出した…

あれから30年…

一度たりとも貴方を恨んだこともないし、貴方の新しい家族を妬んだこともない

そして、貴方は私を厳しい環境に置き手離したことの言い訳を言ったこともない…

只ただ、私を手離したことの罪悪感を背中に背負い生きてきた

会う度に発せられる私への言葉は

『悪いなぁ、お前には何にもしてやれなくて…』

その思いの深さと愛の重さに耐えられなく貴方に会う足を遠ざけた…

私が貴方と別れたのは二歳になる前

言葉は使えなくても無意識は覚えている、あの時の痛みも哀しさも何もできないもどかしさも

だから

貴方は生きていてくれれば良かった、それだけで喜びの存在

無意識の中にある愛の認識は何かをしてくれたとかではない

産まれてから46年間、一度も一緒に暮らしたことなどないが貴方の愛に疑いを持ったことはない

子供の頃、不思議と父親のいない寂しさを感じたこともない

貴方の存在を始めて知った9歳の頃

『大人になった時にいつか会いに行こう』

そう決めた時から貴方の大きな愛をより身近に感じて生きてきた…

大人の一時の感情の縺れで生き別れている親子は沢山いる

私も本来なら親となる年齢になり、そんな相談もお受けする

私が言うことはいつも一緒

『お子さんが会いたいと思った時は会わせてあげて下さいね』

和解や許しは量子場調整で調整できますから…